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【未解決事件】狭山事件

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みなさんは、昭和に起こった未解決の冤罪事件「狭山事件」をご存知でしょうか?

被害者は高校1年の女子高生で、1963年5月に埼玉県で発生した強盗強姦殺人事件として扱われています。

今回はそんな「狭山事件」について、まとめてみました。

事件の概要

狭山事件は1963年5月1日に発生し、もともとは誘拐事件でした。

誘拐事件発生当日は、被害者である中田善枝さんの誕生日でした。

激しい雨が降ったその日、善枝さんは夕方になっても帰宅しませんでした。

心配した善枝さんの兄である長男が学校まで迎えに行き、用務員に下校したことを確認。

その後いつも利用している駅や郵便局にも足を運びましたが、善枝さんはどこにもおらず、諦めて自宅に戻ります。

そして自宅のガラス戸に脅迫状が挟まれていることに気づき、 自宅に脅迫状が届いていることに気付き警察に通報。

捜査員が張り込んでいる中で身代金の受け渡しが行われますが犯人は逃走、翌日に善枝さんは無残な姿で発見されました…

犯人との交渉

脅迫状は当て字だらけで、身代金として20万円を要求していました。

長男と父親は封筒には善枝さんの身分証明書が同封されていたこともあり、駐在所(当時の交番)に脅迫状を届けました。

その後巡査に促され、共に狭山署に向かいます。

誘拐事件と判断した狭山署は捜査本部を開設し、5月3日に自宅と身代金の受け渡し場所として指定された「さのヤ」という酒屋で張り込みを始めます。

二女が身代金を持参し犯人と接触しますが、捜査員は取り逃がしてしまいました。

犯人が逃走した後、狭山署は公開捜査に踏み切ります。

そして5月3日の午前3時からは、警察犬2頭による追跡も行われました。

しかし翌日である5月4日、善江田さんは狭山市内で遺体となって発見…

農道に埋められていた遺体を掘り起こすと手足は紐や縄で縛られており、膝まで下着が下ろされていました。

司法解剖の結果、死因は首を絞められたことによる絞殺でした。そして善枝さんが強姦の末に殺されたことも、明らかに…

身代金の受け渡し場所に捜査員40名を配置し、二女と犯人が会話している様子を見守っていたにも関わらず犯人確保には至りませんでした。

そのため狭山署は特別捜査本部に165名を投入し、捜査にあたったものの難航します。

そしてマスコミ・警察・地域住民は、事件現場近くにあった被差別部落に目を向け、その出身者を逮捕します。

被差別部落出身者を逮捕

遺体が発見された場所から約130mの場所で、あるスコップが発見されました。

そのスコップは、被差別部落にある石田養豚場の所有物でした。

そのため捜査員は、養豚場のスタッフ27名の調書と被差別部落の住民120名の筆跡もとりました。

司法解剖により犯人の体液が採取されており、血液型がB型であることがわかり、捜査線上に浮かんだ人物の中から血液型がB型である者を調べました。

その中に被差別部落出身の石川一雄容疑者がいました。

石川容疑者には、過去に石田養豚場に勤務した経験があり、善枝さんとは、養豚場勤務時代から顔見知りでした。

警察は石川容疑者を、犯人として疑い始めました。

判決で死刑

5月23日、石川一雄は捜査員によって逮捕されました。

容疑は暴行・窃盗・恐喝で、この事件とは関係ない別件逮捕でした。

6月13日に起訴されたものの、同17日は弁護士の申請により保釈。

しかしその直後に、この事件の容疑で石川容疑者は再逮捕。

逮捕直後は犯行を否認していた石川容疑者ですが、やがて自白。

7月9日に起訴されましたが、第一審では犯行を認め、翌1964年3月11日に死刑判決が言い渡されました。

しかし、控訴審で石川被告は取り調べが執拗で自白を強要されたと主張し、全面否認に転じます。

自白に至る過程で「犯行を認めれば10年で刑務所から出られるようにする」という、虚偽の司法取引が持ちかけられたことが自白の理由だったと説明。

冤罪事件として救援活動も盛んに行われていたことも関係し、1974年10月に東京高裁は第一審の死刑判決を破棄し、無期懲役を言い渡しました。

控訴審判決の後、弁護団は上告しますが1977年8月に棄却され、石川被告の無期懲役が確定したのです。

しかし現在に至るまで、再審請求は続いており、事件発生後に関係者が次々と不審死していることから、真犯人は別にいるという説が有力です。

真犯人は誰?

真犯人として名前が上がるのが被害者善枝さんの兄、中田家の長男。

実は中田家は資産家で、それを独り占めするための犯行ではないかと疑われました。

父親も長男の拉致を疑い、弁護士も犯人が身内にいるという意味の発言をしたようです。

また長男を除く兄弟が他家に出るか亡くなったことも、この説を後押ししました。

事件が発生した1963年から1977年までの14年間に、6名もの事件関係者が変死しています。

1964年7月14日に身代金を運んだ姉である、二女の登美恵さんが農薬自殺。

医師がきた時には登美恵さんは布団に寝かされており、死後硬直が始まっていたそう…

さらに善枝さんの2番目の兄である、中田家の二男・嘉代治が1977年10月4日に自殺。

その理由は、自身が経営していた中華料理店の経営不振とされていますが、しかし中田家は資産家であり、嘉代治は不動産も所有していました。

そのため当時も「自殺する理由はないはず」と注目を集めたようです。

こうなってくると明らかに、長男が怪しいですね…

事件の真相が明らかになることを願っています。

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