皆さんは、「悪魔の詩訳者殺人事件」という事件をご存知でしょうか?

それは、1991年7月12日「反イスラム的」とされる小説「悪魔の詩」の翻訳者五十嵐一氏が大学のエレベーター前で何者かに殺されたという事件。
今回は悪魔の歌訳者殺人事件についてまとめてみました。
事件の概要

五十嵐一氏は新潟市出身の1947年6月10日生まれで、東京大学理学部数学科を卒業し東大大学院美学芸術学博士課程を修了していた方。
1976年から1979年までイスラム哲学の公的研究機関イラン王立哲学アカデミーに研究員として在籍しました。
五十嵐一氏は1990年にインド系イギリス人作家サルマンラシュディ氏の小説「悪魔の詩」を日本語に訳し、多くのイスラム教徒に非難されています。
ナイフによる殺害方法がイスラム圏特有の方法だったため、イラン政府等の関与が疑われました。
イスラム特有の殺害方法

五十嵐一氏はイランの公的研究機関に在職したイスラム学者で、「悪魔の詩」は預言者ムハンマドが主人公の小説。
イスラム教ではムハンマドを普通の人間として扱うことはタブーとされます。
かなりの非難が五十嵐一氏に寄せられたようです。
五十嵐一氏に対し行われたイスラム特有の殺害方法は非常に残忍でした。
遺体の損首の左側2ヵ所と右側1ヵ所が頸動脈に達するほど切断。
21世紀になってからもアルカイダやイスラム国(IS)などのイスラム過激派が頸動脈をナイフで切断する同様の方法で人質を殺害。
この殺害方法がイスラム特有であるといわれるのは、イスラム法の「シャリア法」に基づいて家畜を食肉処理する際の手順に似ているためです。
悪魔の詩はイスラム教を否定する書物

五十嵐一氏が日本語訳を担当した小説「悪魔の詩」は言者ムハンマドを俗人扱いされ、イスラム教徒にタブー視されています。
さらに、「悪魔の詩」には主人公ムハンマドが地獄に堕とされたり、12人の売春婦にムハンマドの妻の名前が付けられたりと、かなりイスラム教徒が怒るような内容でした。
さらに作中のムハンマドはコーランの「星の章」を読んだ後に多神教を認めており、アラーを唯一神とするイスラム教徒が容認できるものではありません。
五十嵐一氏を含む「悪魔の詩」の訳者や原著者のサルマンラシュディ氏にはイスラム社会からの非難が殺到し、イギリスの警察がサルマンラシュディ氏を24時間態勢で警備したほどでした。
1990年2月に五十嵐一氏が「悪魔の詩」の出版記者会見を開いた時にも、会場にいたパキスタン人が抗議を行っています。
五十嵐一氏の自宅と勤務先の筑波大学にも脅迫を含む抗議の電話と手紙が殺到するも、日本の警察と五十嵐一氏は事態を深刻に捉えず静観。
最高指導者による五十嵐一氏に対し死刑宣告

1989年2月にイランの最高指導者ルーホッラーホメイニー師が「悪魔の詩」の著者と出版社などに対し死刑宣告を行いました。
イラン最高指導者はイイラン大統領は他国の首相に相当し、最高指導者が大統領に該当するほどの人物。
死刑宣告はイスラム法のファトワーに基づくもので五十嵐一氏も対象者でした。
1989年6月3日にルーホッラーホメイニー師が死亡し、本人しか撤回できないファトワーは永久に有効とされるものでした…
五十嵐一氏は事件前に意味深なメモを残していました。
「壇ノ浦で殺される」および「階段の裏で殺される」という内容。
壇ノ浦とは山口県下関市にある入江で、平安時代の日本を支配した平家が1185年の合戦で源氏に滅ぼされた場所。
「壇ノ浦で殺される」との言葉が事件に関するものか不明ですが、「五十嵐一氏は死を予感していた」というのは間違いなさそうです。
真犯人について

「悪魔の詩」訳者の殺害犯は2006年7月11日に公訴時効が成立。
時効期間は容疑者が日本にいる期間のみカウントされるため、犯人が出国していない前提で捜査が行われました。
しかし状況証拠が示すのは犯人が外国籍である疑いでした。
五十嵐一氏は前述の通りイスラム式の方法で殺害されていましたし、殺害現場は中国製のカンフーシューズが残されていました。
「週刊文春」1998年4月30日号の記事によると「悪魔の詩」訳者の五十嵐一氏を殺害したのは外国人と特定されたものの、外交問題化を恐れた日本政府の意向で捜査が打ち切られたとされています。
犯人としてあるバングラデシュ人が浮かび上がりました。
この留学生は事件当日に日本を出国するなど不審な点がありました。
この殺人事件が時効を迎えた理由ついて様々な憶測が飛び交っています。
有名なのはバングラデシュ人留学生が犯人で、外交問題にしたくない日本政府の意向で時効を迎えさせたという説。
日本は中東アラブ諸国から多くの石油を輸入しており五十嵐一氏殺害事件を捜査することによる関係悪化を避けたともいわれます。
さらに、比較的親日的なため日本政府が関係悪化を恐れた可能性があります。
もっとも悪魔の詩訳者殺人事件の犯人は特定に至っておらず、留学生説の根拠が週刊誌報道であることから、信憑性はいまいちですが、、、
殺害は他国でも行われた

襲撃された「悪魔の詩」の翻訳者は日本の五十嵐一氏だけではありませんでした。
1991年7月3日にはイタリア人のエトーレカプリオロ氏が刃物で執拗に刺され重傷を負っています。
1993年10月11日にはノルウェー人のウィリアムナイガード氏が銃撃され重傷を負う事件が発生。
1993年7月2日にはトルコ人のアジズネシン氏が泊まるホテルが放火され、本人は無事だったものの37人が殺害。
なお原著者のサルマンラシュディ氏は殺害されず2020年現在も生存しています。